
サイレンススズカの軌跡
サイレンススズカは1997年から1998年にかけて活躍した競走馬です。
3歳2月デビューと遅咲きで、プリンシパルSを制しなんとかダービー出走権を手にしますが本番では4着、秋は神戸新聞杯2着後に天皇賞秋へと駒を進めますがここも6着に敗れています。
1998年は武豊とのコンビを組み、大逃げのレーススタイルで多くの競馬ファンを魅了しました。
中京のGⅡレース金鯱賞ではミッドナイトベット、マチカネフクキタル、タイキエルドラドとGⅠ並みの強豪揃いの中で、レコードタイムでの大差勝ちという偉業を成し遂げました。
さらに秋の毎日王冠では無敗の外国産馬エルコンドルパサーとグラスワンダーと対戦。
59kgの斤量を背負いながら逃げ、さらには追い込んできたエルコンドルパサーと同じ末脚で振り切るという次元違いの競馬を見せつけました。
重賞を5連勝し、同年目標としていた天皇賞(秋)に最高の状態で挑みました。
他の有力馬が皆回避し、単勝は1.2倍。当時の競馬ファンの興味は「どの馬が勝つか」ではなく「サイレンススズカがどれだけの差をつけて勝つか」ということでした。
レース開始後は1000m57秒4という超ハイペースで逃げるものの第3コーナーで急に失速。 左前脚手根骨粉砕骨折発症により競走中止、安楽死処分となりました。
この際にフジテレビのスーパー競馬で実況を担当した塩原恒夫はこの事態に際し、咄嗟にサイレンススズカの父の名にかけた「沈黙の日曜日」という言葉を発しています。
